仕上屋ヒストリー

湯沢の小さなクリーニング屋から

湯の原クリーニング・仕上屋

当社は湯沢市で創業以来50年、クリーニングひと筋で営んできました。創業当時の名は「湯の原クリーニング」。 それはそれは小さな店でした。私はそこで生まれ育ちました。

そんなのどかな湯沢の町にもやがて大手クリーニングチェーン店が立ち並ぶようになり、昔からの町のクリーニング屋さんは 次々に閉店しはじめます…。父から社長を受け継いだ私は、その時代の変化に直面し、生き残りをかけて社名を「仕上屋」に改め工場を設立。そして「ある決意」をしました。

「これ以上落ちませんカード」のないクリーニング店にしたい

クリーニング店には必ずある「落ちませんでした」カード(右写真)。皆さんもこのカードにガッカリした経験があると思います。

なぜ、クリーニング業界にこのようなカードがあるかというと、「最新の業務用薬剤でも、必ず落とせない汚れがあるからなのです。

お客様のご依頼品は、責任を持って汚れを落とすのがクリーニング店の役目のはずのに、こんなカードが堂々と業界内で売られていること自体、私は違和感を感じずにはいられませんでした。しかし、クリーニング業界ではこれが当たり前のことなのです。

「落ちませんでしたで許されるなら、クリーニング屋はいらないよ!」といいたいのがお客様の本音。お店は「こういう汚れは落ちないものなのです」と説得じみた説明するばかり…。私はそんな矛盾の狭間にいるのが嫌でした。

全ての汚れが落とせる方法があるなら、お客様も自分たちも、みんな幸せになれるのに…。
しかしどの薬剤メーカーに問い合わせても「そんな夢のような薬剤は無い」と言います。
その「夢」を叶えるのがあなた達ではないの…?

『 それなら、自分で作るしかない 』

もう意地になっていました。 そして私はある国立大学の門をたたきました。
突然現れた男に、大学側も不審者扱いでしたが、ある教授が取り合ってくれました。

「どんな汚れも落とせる薬剤をつくりたい!」と必死に想いを伝えましたが、教授は静かにこう言いました。 「それは不可能ですよ」
私はその場で肩を落としました。 「でもあなたの常識破りな行動力、気に入りました。紹介状を書きますからここに行ってみてください。まずは汚れを良く知り、化学的な根拠にもとづいて、洗剤を作ることです。」
教授は九州の有名な薬品会社を紹介してくださり、そこで我が社のノウハウとなる「薬品の調合」を学ばせて頂く事になりました。そこで教わったのは、いままで私たちが使ってきた洗剤の概念とは 全く異なる汚れの落とし方でした。

世の中の「汚れ」はすべて、「なんらかの化学反応」物質が付着したものです。
どんなプロセスで、どんな物質が付着したのか、それによってその化学式は変わってきます。それを化学的にひもとく事さえできれば、どんなにしつこい汚れも、力を加えることなく、生地も傷めずに落とすことができるわけです。
もちろん、理論上の話でしたし、マニュアルなど存在しませんでした。1から実験と経験で積み重ねていくほかありません。秋田に戻り、研究の日々が始まりました。

それから3年…。当社は独自のクリーニング薬剤開発に成功しました。
「野球場の赤土」、「A型の血液」など細かなカテゴリ分けで薬剤レシピを作り分け、精度を上げていきました。
業界では落せないと言われていた「何十年前のシミ」も、このノウハウで落とせるようになり、やがて「これ以上落ちませんカード(ドクターカード)」は当店から消えました。

「全ての汚れを落とす薬剤など、存在しない―」
教授が言っていた言葉の意味が、今ではとてもよく理解できます。
化学的に「物質として存在し得ない」という意味だったのです。

どんな汚れも落とせる「お店」を目指して。

こうして仕上屋は新しく生まれ変わり、独自のスタンスで走りはじめました。
「どんな汚れも落とせる夢の薬剤」は手に入りませんでしたが、地道な技術開発によって、「ほとんど(98%)の汚れを落とせる店」と言えるまでになりました。
全ての汚れ(100%)を落とせる店を目指して、これからも日々研究して参ります。
(当店の皮革クレンジング技術も、自社配合の薬剤から生まれた技術です。)

感謝のきもち

現在に至るまで、もちろん成功ばかりではありませんでした。
お客様の大切な衣類をダメにしてしまい、弁償でお許しを頂いた事も何度もありましたし、ご迷惑をおかけした皆さまには、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです…。
一時は、経験不足による失敗が続き、挫折しかけた時もありました。

丁度そのころ、あるお客様のお宅に謝罪にお伺いした時でした…
持ち主の奥様は、変わり果てた愛用の衣類をみて驚き、一瞬言葉を失いました。
私は損害賠償を覚悟し、深々と頭をさげ謝りました。失敗した衣類は、とても高価なものでした・・・。
しかしそのとき奥様は、このようにおっしゃいました。

「精一杯やってくれたんでしょう?精一杯の結果がこれなのだから、いいんですよ。
あきらめずにこれからもがんばって下さい。 ありがとう。 また利用しますからね。」

悔しさ、申し訳なさ、感謝が入り混じり、そのまま私はお客様宅の玄関で泣いてしまいました。 帰り道も涙が止まりませんでした。そして私は、「この技術が確立するまで何があってもあきらめない」と心に誓いました。

今でもこの時の気持ちを忘れずに、地域の皆様に「頼りにされる企業」を目指して、精進しております。
衣類、革製品でお悩みの事がありましたら、ぜひ当社までご相談ください。

高橋 友広